バングラデシュ大統領の生い立ち


バングラデシュの大統領であるアブデュル・ハミト氏は、1944年キショアガンジのミザメインにあるカマルプール村で生まれました。ハミト氏は、ニクリイGC高校からキショアガンジにあるグル・ダヤル・カレッジに進学し、学士号を取得。その後、ダッカ中央法カレッジを卒業し、弁護士業を通じて法曹界に入りました。
ハミト氏は、政治と社会福祉を専門とし、1959年にバングラデシュ・チャトラ連盟の一員として政治参加を果たすと、1961年、当時のアユーブ・ハーン将軍の独裁支配に反対する政治運動に参加し、数回投獄されます。しかし、大学学生自治委員会の書記長、キショアガンジにあるチャトラ連盟の理事長、そしてミザメイン地区のチャトラ連盟の副理事長を含む様々な政治的役割を担い、1969年にはアワミ連盟に加わりました。そして、1971年の歴史的な独立戦争にも参加。ハミト氏はインドに向かい、アガルタラの徴兵部隊とバングラデシュ解放戦線(ムジブ・バヒニ)の司令官として当時のスナムグンジとキショアガンジで活動し、1971年12月16日の最終的な勝利において、インドのメガラヤ州の異なるキャンプに滞在しているベンガル人難民の本国への送還を促進するために主要な役割を果たしました。1972年1月10日に帰国し、その同日、バングラデシュ建国の父であるS・ムジブル・ラフマンのパキスタン刑務所での長い監禁からの帰還を賛美。そして、新たなる自由な土地バングラデシュへの復帰直後、キショアガンジの復興援助委員会の議長に就任し、1974年にはアワミ連盟副議長としての責任を委任されました。

国の父の暗殺という残酷な事件後、1976年から1978年の間、ハミト氏は当時のジア将軍の独裁的な軍事政権によって逮捕されてしまいます。しかしその後、1978年から2009年の間、アワミ連盟地区長を務め、1990年から1996年まではキショアガンジ地区法曹協会理事長として活動。社会活動家と文化的、教育的な後援者育成の第一歩として、小学校や高校、大学をミザメイン地区に設立しました。

これらからわかるように、ハミト氏には明確な政治方針があります。そのため、ハミト氏は1970年、マイメンシンからパキスタン下院に最も若くして当選し、1972年には憲法制定議会の議員、1973年、1986年、1991年、1996年、2001年はアワミ連盟からバングラデシュの国際議会の下院議員として選出されています。さらに、1996年から2001年に国際議会の副議長、2001年7月から10月の間は下院議長として活動。その後、2001年から2006年の間、野党副代表を務め、2009年には再び議会議長に就任しました。2013年3月14日に代理の共和国大統領に就任した後、2013年4月22日、第20代バングラデシュ人民共和国の大統領に選ばれました。現在 アブデュル・ハミト氏は結婚し、3人の子供たちと暮らしています。そして、バングラデシュ大統領として、国際政治や現代史、世界に存在する様々な憲法の比較研究に関心が向いています。